そっちから見える世界と
こっちから見える世界は違っていても
確実に一つの穴で繋がっている
ドーナツに死す
キャーっと言葉で現せない様な皆の声が響く
昼休みのそんな廊下で舞はいつも通り友達と話している
開け放たれた窓の桟にちょこんと腰掛ける様にして
吹き込んでくる風の心地良さに目を細める
「それにしても舞ちゃん背、伸びたよね」
「あー、うん…結構伸びたねー」
額に掛かる髪を上目遣いで眺めて頭の天辺に意識を集中させる
そんな事なんてしなくても背が伸びたのは分かっている
毎日、舞の隣に並ぶあいつのせいで
嫌って言うほど思い知らされるから
「ちょっと羨ましいかも」
「そう?これくらいで止まれば良いけど大きくなり過ぎるのは嫌かな」
「それって、岡井先輩のため?」
「…っ、違うっ!!ただ、嫌なの大きくなり過ぎるのが」
友達がからかう様に顔をにやけさせて、舞を覗いてくる
それを手で払いのけて、桟から飛び降りる
スカートを叩いて、正して、真っ直ぐと姿勢も正す
う〜ん、やっぱり見える世界も変わっている
それくらい背が伸びたみたいだ
「まず、舞の好きなタイプは背高い人だから。千聖は無いの」
「えー、でもいっつも一緒に居るじゃん」
「だって、幼馴染だから」
幼馴染、一言で簡単に片付けられる言葉だけれど、事実でしかなくて
舞と千聖の関係はその“幼馴染”でしか無い
舞の幼馴染の中で一番年が近くて、一番気があって
気兼ねなく何でも言い合える仲だから
他の皆より、一緒に居る時間が長くなっただけ
だから、皆が思う様な漫画みたいな関係では無いし
千聖も多分、舞と同じ気持ちだと思う
家族ではないし、友達でもない
当然、恋人でも好きな人でもない
ただの幼馴染
「わー、舞ちゃん酷いんだー」
「げっ、千聖…」
私が友達にそう言い切って、何度か頷いた時だった
グッドなのかバッドなのか
私が千聖を話のネタにした時に、よくその場に現れる
「千聖だってこれからグーンと伸びるんだぞ!!」
「もう無いって…千聖ずっと言ってるけどちっちゃいままじゃんか」
「うっわー、ほんと酷い!!」
千聖はキャンキャンと犬が吠えるみたいに喋る
舞だって言えた立場じゃないけど、滑舌が悪い千聖だから
それが本当に犬が興奮したときみたいで、面白くて仕方ない
千聖は真剣な顔なんだけど、それが更に面白さを助長する
だからかな?ゲラゲラと笑う声で聞こえなかったのかな?
「もう良いよ、舞ちゃんなんて…」
「えっ?」
「もう、帰るっ!!」
千聖がクルリと踵を返して、歩いて行く
あれ?千聖機嫌悪くない?舞、何か悪い事したっけ?
「舞ちゃん、ちょっと言い過ぎだったよー」
「えっ?いつもあんな感じだって」
「でも、先輩怒ってるみたいじゃん…」
「……大丈夫、いつもと、一緒だから」
千聖の背中を眺める
もう、随分遠くまで行っていて、
あと5歩も行けば階段を上がって教室までまっしぐらだろう
何となくモヤモヤする…
いつもの千聖なら、口であんな事言いながらも笑ってプロレス技かけてくるのに
変なの、千聖…何か、おかしいよ…
フツフツと怒りが込み上げてくる
でも、何かが出来るわけじゃなくって
ただ唇を尖らせて、千聖の居なくなった廊下の先を見つめていた
* * * * *
「舞、ちょっとこれ千聖ちゃんにあげてきて」
「えー…」
「作り過ぎちゃったのよ、ドーナツ」
こういう日に限って、お母さんはタイミングが悪いとしか言いようの無い事をする
私がつまんでいたドーナツはお母さんの手作りで
少し油っぽいけれど、砂糖が良い感じにかかっていて私のお気に入りだったりする
ちなみに千聖も好きだって言って、お母さんを喜ばせてたっけ?
だからかどうか知らないけど、ドーナツを作る時は大量に作っては
千聖の家にもお裾分けしている
「あんた、暇でしょ?ちゃっちゃと持って行ってあげて」
「…仕方ないなぁ〜」
あと一口の大きさになったドーナツをモグっと食べて
重い腰を持ち上げた
…ホント、気が乗らない
でも、文句を言ったって解決するわけじゃないし
舞、そういうの以外と責任感じてやっちゃうタイプだし
千聖に会わないで、ドーナツだけ岡井家に届ければ良いわけだし
ちゃちゃーっと、ちゃちゃちゃーっと片付けちゃえば良いわけだ
千聖の家は私の家から歩いてだいたい375歩くらい、隣の隣のその家の前
斜向いとか難しい言葉は使わないし、使えない
ただのご近所さん、そんな感じだ
人差し指でボタンを押せば、ピンポーンと間延びしたチャイムがなる
「はぁーい」と千聖のママの声が聞こえると「舞でーす」と簡潔に答えた
トットットと家の中から音が聞こえると
カチャリとドアが開いた
「…千聖」
「舞ちゃん…」
少し上に目線を向けて、ドアが開くのを見ると
一番最初に見えたのが千聖だった
最悪、最悪、最悪…
今日、ちょータイミング悪い気がするんですけど?
「ドーナツ、お母さんが作ったから持って行けって」
「あ、あぁ…ありがと」
「これ…」
少し乱暴にドーナツの入った透明のタッパーを渡す
それを少し落としそうになったけど、しっかりと受け取って
ジーッと中身を見つめて、蓋を開けて一つ摘んだ
「ありがとうございますって伝えといて」
「うん…」
ニコニコとドーナツを摘んだまま、千聖は舞に笑いかけた
さっきまで千聖に会いたくなかったはずなのに
今はその笑顔にちょっと嬉しくなったりしてる
…こういう切り替えの早いところ、千聖の良いところなんだよね
「千聖、あの、あのさ…」
「おや?このドーナツ小さくなった?」
「はぁ?」
「穴から見える舞ちゃんの大きさがいつもと違うぞぉ〜?」
千聖はドーナツの穴から舞の顔を見つめる
クリクリとしたドングリ眼がキラキラと輝いていて
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ眩しく思えた
「そうかも…お母さんに言っとく、ドーナツ小さいって」
「うん、もーっと大きいの食べて千聖は大きくならなきゃいけないんだから!!」
「うん、決して舞が大きくなったんじゃないよ、ドーナツが小さくなったんだよ」
「へっへー、そうでしょ、そうでしょ」
千聖がニカっといつもみたいに笑った
そして、パクリとドーナツにかぶりついて、あっという間に食べ終えた
その姿を見て舞も笑いたくなって、大きな声を出して笑った
あれ、さっきまで機嫌悪かったはずなのに
千聖に会うの、億劫に思ってたはずなのに
ドーナツの穴から覗いた千聖の目に吸い込まれそうで
そんなこと忘れてしまったみたいだ
なんとなくだけど、ドーナツの穴に落ちたらこんな気分なんだろうと思った
それは一瞬だけどずーっと続いていく様な
それくらい、舞と千聖の関係も続けば良いなって、ちょっとだけ思った