秋風
白が少し黄味がかった扉を開けると
微かではあるが鼻を突く様な薬品の匂いが漂っている
窓が開いているのか、秋風にふわりふわりとカーテンが揺れている
梨沙子の視界は白一色に染まっていく
「先生?居ませんかー…」
学校の中の小さな一部屋でしかない保健室
部屋の主が居るならば、梨沙子の声が聞こえていないわけが無い
返事が無いところからすると、留守なんだろうと思った
コツンコツンとローファーの踵を床に打つけ
わざと音を立てる様にして歩くけれど
それ以外、何の音もしない
利用者も居ないのだろうかと思って、
ベッドの間仕切りのカーテンを開けるが、やはり誰もいない
こんな気持ちの良い季節だから、そうであろうと予想していた
梨沙子の考えが当たった
最悪、養護教員が居たときの事も考えていたが
ラッキーな事が続くものだと、梨沙子は鼻を鳴らす様に笑った
フーッとため息を吐いてベッドに腰掛けブレザーを脱ぐと
梨沙子は体を倒し、横になった
モヤっとした気持ちが体全体を巡る
イラっとした感情が喉に引っかかる
ズキっとした痛みが胸を締め付ける
それら全部の原因が梨沙子には分かっていた
だけど、自分一人では何も出来ない
どうせならば、このまま弱って本当に病気にでもなってしまいたいくらいなのに
自分でも嫌になるくらい、体は頑丈に出来ているみたいで
梨沙子はここ最近、大きな病とはあまり縁がなかった
横になったまま上を見つめる
白い天井に、白いカーテン
白の世界に一人ぼっちになった気がして、急に不安に襲われる
こんな時も思い出してしまうのはいつも決まって雅の事だった
気が付けばいつも梨沙子の頭の中は雅で埋め尽くされていた
それが恋なのか、尊敬なのか、何か他の感情なのか分からないけれど
特別な感情を雅に持っている事は、分かり切った事実だった
雅が居なくなれば、そうなれば今ここに居なかったかも知れない
全ての事をめんどくさく思わなかったかも知れない
そんな事考えてみたって、意味が無いのに
そんな事考えてみたって、自分が嫌になるだけなのに
またフーっと息を吐くと白の世界に急に変化が訪れる
華やぐ、そうとしか言えないけれど
今は白のままの方が良かった、そう思ってしまう
「あっ、サボり見っけー」
「……」
「シカト?感じ悪ぅー」
突然現れて、ヒョイと跳ねる様に隣のベッドに座ったのは
今一番、梨沙子が会いたくなかった雅だった
「違う、ホントに具合悪いの…」
「えっ、マジ?珍しいじゃん…」
何が面白いのか分からないが
いつもケラケラと明るいオーラが雅を取り巻いていて、それは今も変わらない
それなのに、梨沙子の言葉を聞いた瞬間
表情を歪め、頼り無さげに眉を下げた
そんな雅を見ると、梨沙子は何とも言えない気持ちになる
モヤモヤは深くなる
イライラは強くなる
ズキズキは鋭くなる
どんどん悪い方向に向かっている気がしてならない
「夜更かしでもしたの?」
「そんなんじゃないけど…」
ベッドから降り、グイッと体を乗り出して顔を覗き込んでくる雅を避ける様に
梨沙子はシーツを引っ張って、顔を隠す様に被ろうとする
が、止めて雅の方を向く
「て言うか、みやは何で?」
「あっ、ウチ?ウチはセーリツー」
「ふぅーん…」
小さく頷くと枕に倒れ込み、天井を仰ぐ様にシーツを被る
雅はそんな梨沙子の様子を見て、静かにベッドへ戻る
2人の間には沈黙が走る
しかし、それは気まずさは無くて
吹き込んでくる秋風に似た爽やかさがある
「梨沙子、あんたさ…」
「ん?」
「あっ、具合悪いなら無理に相槌打たなくていいよ…」
「ん、それくらいなら大丈夫」
雅は梨沙子の方を向く事無く話し続ける
梨沙子はそんな彼女の様子を確認すると、また天井を見つめた
「あんた結構無理するからさ、ウチ心配してんだよ」
「無理してないよ」
「まぁまぁ…何かあってもウチには相談とかしづらいかもしんないけどさ」
「…」
「ちょーっとだけあんたより人生長く生きてるわけで」
雅からフフフと笑いが漏れ聞こえる
何が楽しいのか、はたまた面白いのか梨沙子には分からなかったが
雅が笑っていると、自分も笑いたくなる、漠然とそう思った
「何かアドヴァイスとか出来るかもしれないじゃん」
「…んー、それは良いや」
「うわっ、ヒドッ!!」
「イヒヒィー…でも、ホント大丈夫」
いつの間にか2人とも笑っている
いつの間にかスーッと楽になっている
「まっ、それだけなんだけどさ…」
「ありがと」
「て言うか、寝る?」
「ん、んぅー…」
雅の声と、心地良い風が自然と梨沙子の眠気を誘う
ふわぁーっとさっきまでとは確実に違う様に息を吐く
「おやすみ…」
「んっ、おやすみ…」
雅の声が優しく染み込んでくる
瞼を閉じると優しく微笑んでいる雅が見える
雅のせいでモヤっとしていたのに…
雅のせいでイラっとしていたのに…
雅のせいでズキっとしていたのに…
それが全て雅の今の一言で消えてなくなってしまう
梨沙子の全てが雅に支配されている
それをいつ雅に伝えられるか分からないけれど
梨沙子はそれがたまらなく嬉しかった