雨のあと

「雨が降る…帰ろう」

「帰ろう」


栞菜がそう言った

私は頷いた


* * * * *

 

海からの帰り道、栞菜が言った通りに雨は降ってきた


走って坂を上がっていると丁度、屋根付きのバス停の前を通った

だから二人並んで座って雨宿り


潮で錆びたトタン屋根、壁は穴の開いた板

それでも二人にはそこしかなくて

二人にはそれが良かった


「よく分かったね」

「何が?」

「雨降るの」


栞菜はずっと落ちてくる雨粒を真剣に見つめている

私はそんな栞菜の横顔を見つめている

栞菜の右手と私の左手は繋がっている


「匂いがした」

「雨の?」

「うん、雨の」


栞菜はそう言って、目を閉じた

そして、胸いっぱいに空気を吸った

私も慌てて真似をして、胸いっぱいに空気を吸った


「これが雨の匂いです」

「これが雨の匂い」


私は栞菜の言った事を味わう様に反芻した

栞菜は納得したのかウンウンと頷く


栞菜は私の知らない事を沢山知っている

それを一つ一つ丁寧に教えてくれる


「そして、夏の終わりの匂いです」

「夏の終わりの匂い」


私はまた栞菜の言った事を反芻した

栞菜は今度は頷かないで、話を続けた


「夏が終わって、秋が終わって、冬が終わって、春が終わって、また夏が来て…」


栞菜は雨を見つめている

私も雨を見つめた


「愛理と二人の1年がまた始まります」

「また始まります」


栞菜がギュッと強く握ったので、少し痛かったけれど

私もギュッと強く握ったから、栞菜も痛かったと思う


痛かったけど、この痛さは嫌いじゃないと思った


* * * * *


「栞菜、質問していい?」

「どうぞ」

「明日からは秋ですか?」


栞菜はクルっと私の方を向いた

私もクルっと栞菜の方を向いた


「いい質問です」

「いい質問」


私の顔を見たまま栞菜は少し止まった

栞菜の顔を見たまま私も少し止まった


10秒くらい経って、二人同時に笑いだした


「愛理は秋は好きですか?」

「はい、野菜も果物もお米も美味しいから好きです」

「そっかぁー…」


栞菜はウ~ンと唸って、首を一度回した

私はそれを目で追いかけた

元の位置に目が戻ると少し間を置いて栞菜がこう言った


「じゃあ、明日から秋にしようか」

「うん、秋にしよう」


栞菜が嬉しそうに笑ったから、私も笑った


* * * * *


私が少しだけ目を閉じた瞬間に

いつの間にか雨は止んでいて

いつの間にか栞菜は私の肩を借りて、寝ていた


「栞菜、雨上がりました」

「ンッ…ンン~」


栞菜が手を上に大きく上げて、伸びをした

私と手を繋いだままだったから、私もつられて伸びをした



「さて、帰りますか」

「帰りますか」


二人同時に立ち上がる

二人同時に歩き出す

やっぱり、手は繋いだまま


ふと、栞菜の方を見る

栞菜は気付かないで前を見ている


珍しくタイミングが合わなかった

ちょっと寂しかった


私は大体の事を栞菜から教わった

今日だってそうだったし、明日だって

これからずっと先だって、ずっとそうだと思う

ずっと、ずっとそうだ


「栞菜は何でも教えてくれるよね」

「そうですか?」

「そうですよ」


栞菜は何度か口を開きかけ

そして、何度か口を閉ざそうとした

何か言いたい事があったのかもしれないけど、私には分からなかった


「栞菜が教えられないものってある?」

「あるよ、多分沢山…」

「沢山」


栞菜は指を折りながら、数えている

栞菜の口から出てくる言葉を捕まえても

やっぱり私には分からない事みたいだ


「一個だけ教えたくない事がある」

「教えたくない事」

「そう、教えたくない事」


栞菜が歩くのを止める

私も歩くのを止める


栞菜がチョンと口を尖らせて

私の唇に、キスをした


温かい

暖かい



「愛理に栞菜が居ない世界は教えたくない、かなぁ…」



栞菜はそう言うとまたキスをした


「日が暮れちゃう、帰ろう」

「帰ろう」


私は空いている右手で唇を触った

この仕草は自分で覚えた


* * * * *


大きくて真っ赤な夕日を横に坂を歩く

隣には栞菜が居る

今日も昨日と変わらずに栞菜が居る



私には栞菜が居ない世界なんて想像も出来なかった



だから、いくら栞菜だってそんな事教えられるわけないと思った

だから、私は幸せだと思った